■福島県産の米や野菜は本当に安全なのかという疑問

「福島県産の米や野菜は本当に安全なのか――。」
そんな疑問をクリアにするため、福島県二本松市の東和地区に行ってきた。農業が盛んであり、そして避難区域ではないものの福島第一原発にほど近い地域である。

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towa posted by (C)nekodemo


■結論は「安全」である

結論を先に書けば、少なくとも東和地区で生産され出荷されている農産物は、大変安全であった。この目で見たから間違いない。
今回、東和地区のきぼうのたねカンパニーの菅野瑞穂さんのコーディネートにお世話になった。現地での放射線対策の取組について話を聞いたり、実際に収穫された野菜を食べさせてもらったりしたのだが、心配することなんてひとつもない、というのが私の実感だ。

細かいことは調べればわかるのであまり書かないが、東和地区では農産物を育てる田畑毎に放射線量を測定し、そこで育てられた農産物にセシウムがどの程度含まれるのかも測定している。
例えば現地の道の駅では、農産物のセシウム含有量を測定できる機械が設置されており、並べられている商品群は安全であることが確認されたものだけだ。現地で測定用機械を見せてもらったが、はっきり言ってそこまでしっかりやっている地域はそうそう無いのではないだろうか。
風評被害があるからこそ、それを覆すデータを提示しようという気合が感じられる。ある意味で、風評被害のない地域よりもデータがはっきりしている分だけ安心だ。
(もちろん、作付の条件によっては高いセシウム含有量が検出されるものもあるという。べつにどの作物がどうだとか一律的に決めつけられるものではなく、あくまで育成条件との因果関係が考えられるそうだ。結果的に安全でなさそうな商品もわかるわけで、安心である。)

なお、これは東和地区における取組であり、福島県全体の話ではない。


■どのように「安全」を伝えればよいのか

だから私は安全を証明された東和地区、きぼうのたねカンパニーのお米や野菜を購入しようと思う。安心だと確信したから。
しかしその一方で、その安全性を他人に伝えることの難しさにも直面している。
私は自分の目や耳で安全のための取り組みを見聞きし、実際に野菜も食べた(ちょー美味しかった)。現地で田植えも体験し、場所の空気も自分の体で感じた(ちょー気持ちよかった)。
けれどそれを他人にどう伝えられようか。
例えば私が、どこかの誰かに「福島の(東和の)野菜は安全だよ!」と言ったところでどこまで信じてもらえるのか。反論してくる人はいないだろうか。反論しなくても、例えば私が福島の野菜を買ってきて誰かに手渡したとしたら、それを素直に口にしてくれるだろうか。


■伝えるべき対象に伝わらない問題

だったら手っ取り早いのは、信じてくれない人には現地に来てもらうことだ。言ってもわからなくても、来ればわかるんだったら来てもらえばいいじゃないか。

けれど、そもそも現地へ来てくれるような人は、言っただけでも興味を持ってくれる人だ。逆に、興味すら持ってくれない人や、はじめから聞く耳を持たない人は、来るはずもない。福島への悪しき風評をもっとも消し去るべき対象である人を連れてくることができないのであれば、彼らにどうやって安全性を伝えることができるのだろうか。


■分断という不幸

これは端的に言えば、自分と異なる考え方を持つ人の声は「聴かない」、という現代の病理であると言える。都市化された社会では、自分の意見と異なる耳障りな意見を排除しても、生きていける。
例えばtwitterで自分と異なる意見を表明している人のタイムラインを目にしたら、その人をブロックしてしまえば楽しいtwitterライフを送れる。
「福島の農産物は全部ヤバイ」と思っている人は、別にそれを否定する人の声を聴こうとする必要はない。野菜は他の地域のものを買えばいいのだからそれで生きていけるし。
まさに分断である。


■自分自身も分断の中にいる

この情報やコミュニケーションの分断は、何も「福島の農産物は全部ヤバイ」と思っている人だけに言えることはない。
今回福島にて、同じく他県から福島県入りしている何名もの方とお話したのだが、上記とは真逆に「福島に風評被害なんてない」と思っている人がいた。
その人は、震災復興ボランティアでしょっちゅう東北入りしている人だ。その人に対して何気なく「福島産の野菜は危険に思われて買わない人多いですよねぇ」と言ったら、激怒された。「そんなことあるわけないじゃないか、うちの近くのスーパーでは福島産の野菜買ってる人ばっかりだ!データで示せ!」みたいに。
データで示せというのはおっしゃる通りなのだが、おそらくその人は、福島に好意的なコミュニティを中心に生きているのだろう。ボランティアを盛んにされているのは立派だけれど、他の考えを持つ人と分断されてしまっているのは不幸なことだ。


■自分のすべきこと

結局、私だって普段の考え方はどこかに偏ったクラスタに分類されるのであろう。福島の農産物について言えば、「福島(東和)の野菜は安全だと思うので積極的に食べようとする」クラスタだ。

そして福島の農産物について最も多いのは「無関心」クラスタなのだろう。
もしも世界に農産物が福島産しかなかったら、それを食べる/食べないの選択を誰もが迫られるわけで、否が応にも関心を持たざるをえない。しかし現実は、福島という地域を選択肢に入れる以前に、選択肢自体から排除すれば何も頭を動かす必要はない。積極的に福島産を選ばない、ということではなく、消極的な選択の末、福島産農産物の風評被害が結果として表出していると私は考えている。

だから私は、そういう人たちにこそ、福島の現実を知ってもらいたい。
震災後、一度も福島へ足を運んでいなかった私が言うのはおこがましいが、今からでも遅くはない。だから私は、福島(東和)に友人・知人を連れていきたいと思っている。自分の目でこの状況を感じてほしいと思っている。