「性格診断テスト」と呼ばれるものに分類されるのだろうか。先週「MBTI」というテストを受けてきた。このテストを受けるには、ちゃんと認定された資格を持った講師からレクチャーを受けなければならず、そう簡単には受けられない。しかし、たまたま友人がその資格を取得し、正式な講師となったということで、「受けさせろ」と豪語してたら受験(?)できることとなったのだ。

MBTIは、ユングの理論をわかやすく日常の生活に落とし込んだ理論で、人を16分類に分けるもの。どうやら性格検査には二種類あって、それは「類型論」と「特性論」と呼ばれるそうだ。現在日本で主流である「特性論」は、分かりやすいので普及しているとのことだが、これは一面から見ると欠陥があるそうである。例えば特性論はあくまで周りとの相対的な比較論でしか過ぎないということ。特性論による性格分類で「あなたは明るい」と診断されたとしても、それはその人の周りの人物と比較して「明るい」だけであって、例えば日本の暗いコミュニティからブラジルの陽気なコミュニティに移住してみたら、そこにおいては(相対的に)「暗い」と判断されるかもしれない。とかいう話。

そこで、こういう特性論ではなく、絶対的に持って生まれたもので判断する(類型論)の性格診断のひとつがMBTIである。

結論から書くと、MBTIにおいて私は「INFJ」という分類なんじゃないかということになった。INFJ、な気がする。
INFJというのは、「複雑なことや人間関係について、直観的に理解することに力を発揮し、「わかった」という確信とともに得られる自分の洞察を信頼します。他者が自分自身で気づくより先に、いち早くその人の気持ちや、動機を察します。」というものだ。へー。(詳しくは受験するともらえるテキストにもっと載っている。)

「INFJなんじゃないか」というように、断定ではなく推定の言葉を使ったのは、あまり断定的に私がこの分類だと当てはめるのはいかがなものか、という理由がある。今回、MBTIのテストとワーク(ディスカッションみたいなもの)を3時間以上やっていたのだが、それでも実際には結論が出ない。あくまでINFJ「なんじゃないか」という。
そんなに簡単に人の性格を決めつけられてたまるかということだ。
他の性格診断テストやら心理テストで経験がある。あなたは「○×です」と断定されるけど、あきらかに違うだろそれ、みたいなやつ。そういったものへのアンチテーゼで、MBTIは結論付けをむやみに急がないのだと思われる。

ところで、今回MBTIに参加するために集ったメンバーは講師を含めて5名だった。私以外の4人は、キャリアとか教育とかにとても興味がある人たちで、MBTI以外の性格診断テストにもめちゃくちゃ詳しかった。なになに性格診断マニアか!?、みたいな。終わったあとにお茶のみながら、「あの性格診断テストはこうだった」とか「あの性格診断はここが欠陥」とか「ここ使える」とか話してるの。マニアック。

そんなことを思っていたら、この会の開催場所、我が家のリビングの本棚の本を、参加者の一人が見つけだしてきた。「この本、ユングの性格診断使った本じゃない?」と。
なんと、その本は私が中学生のときに読んでいた本であった。おお、私も今回のMBTIに繋がるユングの本を読んでいたのか!(内容はてんで忘れていた。)

で、その本を久方ぶりにぱらぱらと捲っていたら、中学生時代の私が当時の状況で性格診断をしたテスト結果が書き込まれていた! その本でも性格診断が出来るようになっていたのだ。

前述の通り、ユングの性格診断は、周囲の相対的な環境により変化するものではなく生まれ持ったものを診断するものだ。だから、中学生のときのテスト結果は今と変わっていないはず。
そう思ってみてみると、やはりそこには中学生の私による腑に落ちる内容が書き込まれていた。

果たして普段の行動が、生まれもった自分の性格によるものなのか、社会に揉まれて変化してのものなのかが分からなかった。しかし、過去の自分も同じテスト結果を出しているということは(しかも10年以上前の若かりし自分が同じ結果を出しているということは)、MBTIのテスト結果に信憑性が増すのであった。

なお、MBTIと同じようなユングの16分類のテストは、ネットでも探せば転がっている。が、MBTI的にはちゃんとしたファシリテーターがいない状態でやるのはよくないとされている。(適当な診断で「断定」するのは良くないということで。)
MBTIを受けたい人は、ちゃんと講師にお願いしましょう。3時間かかるけど、かなり面白いですよ。