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辻村深月の小説「島はぼくらと」を読んだ。
瀬戸内海の島を舞台とした小説だ。

瀬戸内海の島には、私はとても思い入れがある。

例えば昔、尾道から船で数十分渡った場所にある とある島に、仕事をしに出かけたことがある。その島で一仕事を終えると、その仕事相手から「飲みましょう」と言われ、連れていかれたのは、その島唯一のレストランだった。地元の人が続々と集まるその場所で、地元食材に舌鼓をうった。気づけば帰りの船の時間はもう過ぎていて、結局その島に泊まることになったのはいい思い出だ。

他にも、今やアートの島としても知られるようになった犬島にお邪魔して在本さんにお世話になったこともある。
島はぼくらとで描かれる島は、実際には存在しない架空の島だ。だが、例えばIターンを積極的に受け入れたり、村長が気合い入ってたり、火山があったりというのは、いろんな島で見聞きする事例を集めたものなのだろう。Iターンで人口を増やしているといえば隠岐の海士町を思い浮かべる。村長がイケてるというのも海士町の山内町長みたい。火山といえば三宅島だろうか。

島には独特の風景がある。
そして外の世界と物理的に隔離された島だからこその不便さと、だからこその良さもある。
島に足を運ぶたびに思い知らされる、島の良さがある。



島は外の世界と隔たれている。例えば向こう岸に渡るにも、船の時間が決まってしまっていて、自由に行き来できないというのが象徴的だ。
しかし島に住む人たちは、そこに抗うことなく、それをそのまま受け入れて生活をしている。よそから来た立場からするとそれを不便に感じてしまうことも、その島の人にとっては当然であるというように。
一方で、私が知る中には、島で生まれ育っても、あるとき島から引っ越して都会へ出て行ったという人もいる。また、島にIターンして、島に腰を落ち着けるのかと思いきや、数年後そこから姿を消したという人も知っている。理由は人それぞれだろう。けれど、島から出るということは、物理的に海を渡るということでもある。私が想像する一般的な引越しよりも、インパクトはとても強い。


島はぼくらとでも、島ならではの人間関係がよく描かれている。
島ならでは、ということでもないが、田舎ならではの地元の人間関係の面倒くささとかそういうものだ。
一方で、Iターンで島に訪れる人たちの描写の中からは、都会の人間関係的な何かに疲れ果て、逃げるように島に来たのだろうというシーンもあった。現実世界でも、私の知人に(詳しくは聞いていないが)逃げるように島に渡った人がいる。
またその一方で、島に可能性を見出して、新天地としてそこを訪れる人もいる。夢見る移住だ。

何かから逃げて島に駆け込んでくるIターンと、その一方で夢を見て島にやってくるIターン。真逆のようだ。しかし真逆のようでいて、じつは近しいことなのかもしれないとも思う。
なぜならば、住む場所を変えるということは、どちらの意味でも過去をリセットし、新しい何かを見つけることになるのだから。住む場所を変えることは、人を変える。


一方で、どこかに住むということは、あくまで場所を選ぶに過ぎないということも私は知っている。住んで、周りの人と触れ合って、その結果自分の人生が変わっていくに過ぎないということを知っている。それはつまり、場所ではなく、そこにいる「人」に愛着を持つということの裏返しだ。
話が逸れるが、「ふるさと」らしさのかけらもない多摩ニュータウン育ちの月島雫を思い出してみよう。カントリーロードがうまく訳せなかった月島雫だったが、その町で大切な人を見つけ、自分なりの「ふるさと」の解釈ができるようになり、カントリーロードの訳詞をつけられるようになった。

島はぼくらとでも描かれているのも風景だけではない。人間の営みだ。誰かが島にいるから、島から離れたくないと思う。誰かが島にいるから、島に戻りたいと思う。
だから気づくのだ。
どこかの島や、どこかの地域に、特別な思いを持つことの素晴らしさを。それはつまり、その島やその地域に、大切にしたい人がいるということでもあるのだから。
それが田舎特有のしがらみだったりしても、人を想えることは、とても素敵じゃないか。



この夏、大学時代の友人が病気で息を引き取った。あまりにも早い死だった。
彼女は、学生時代にはそんなそぶりはまったく見せたことがなかったのだが、アラサーになってから、気づけば瀬戸内海のとある島によく入り浸るようになっていた。
その島は、私が仕事で出向き、誘われるがまま飲んでたら帰りの船をなくしたあの島だった。彼女は大学卒業後、いつの間にか料理人になっており、その島の食材を使った料理を創作していたのだった。

全国いろんなところで偶然の出会いはあるけれど、まさか観光地でも何でもない、瀬戸内海の小さな島の話を彼女とすることになるとは思ってもみなかった。だけどその偶然の一致の確率があったからこそ、私はその島の景色を思い出し、彼女がその島を好きになって島の食材の料理をつくりたいという理由を、たくさん聞けた。

彼女は、その島と東京を頻繁に行き来していた。普段の生活のベースは東京だけれど、東京にいながらも、瀬戸内海のその島を思い、活動していた。例えその島に住んでいなくても、土地に思いを持っていた。


彼女には、我が家のホームパーティーの料理人をお願いしたことや、仕事の依頼をしたこともあったりして、私を経由して彼女と友達になったという人もいる。そんなこともあったから、彼女の訃報を受け取った私は、その知らせを知人たちに回したりした。

海外にいた私は、あわてて東京に戻り、ぎりぎり葬儀に間に合った。平日日中に働いている多くの友人は通夜に参加していたようで、平日午前中の葬儀ではそれらしい知り合いには会わなかった。しかしそれでも、会場に入りきれないほどの人が集まっており、多くの人が涙を流していた。
あぁ、彼女はどれだけ多くの人に愛されていたのだろうか、と考えた。

東京にいても、瀬戸内海の島にいても、どこにいてもみんなに慕われていたのだろう。
どこにいてもみんなに慕われていた彼女が、うらやましいとさえ思えた。


島はぼくらとの中で描かれていたのは、小さな人口減少していく島であっても、それでも持ち続ける未来への希望だ。どんなに困難があっても、島はぼくらとの登場人物たちは、未来に希望を見ることを忘れない。大切な人の住む場所に自らも住み、ときには大切な人を見送らなければならない立場になることがあっても、未来に希望を持つ。

そんな希望を私も持ちたいと思う。
逃げたいようなことがあったとしても、ときにはその場所を離れざるをえないようなことがあったとしても、未来を見据えたいと思う。

もし彼女が生きていて、今また島の話を一緒にすることができたとしたら、きっとポジティブな、未来の話をしたことだろう。そして私にも彼女は言ってくるだろう。私もふつうにやってるんだから、あなたも「新しいこと、やれば?」と。

そんなことを考えながら、島はぼくらとを、本棚に置いた。



島はぼくらと (講談社文庫)