DSCF5390

世界遺産に、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が決定した。おめでとうございます。
日本国内にいくつもある世界遺産の中で、個人的に最も興味が惹かれる遺産群である。

いわゆる「隠れキリシタン」については義務教育の教科書で軽く学んだ程度で、子供の当時は、歴史のひとつとして認識していた程度だった。

しかし大人になってから、青木保氏の著書「こころの最終講義」を読んだことをきっかけにして、文化のひとつとしての隠れキリシタンについて俄然興味を抱くようになった。

青木保氏は、別に隠れキリシタンや潜伏キリシタンの研究家ではない。臨床心理学者だ。よって歴史学者としての視点ではないけれど、著書「こころの最終講義」では、日本人の宗教性を示すエピソードの一事例として「隠れキリシタン」を取り上げていた。その内容がとてもおもしろかったのだ。

(隠れキリシタンが)聖書から得た話をずっと継承して持っていて、それが隠れキリシタンの人たちの神話として残っているということがわかったのです。
(中略)
それを日本人が聞いて、それが大事だと思って、さらに口伝えにしていくんだけれども、宣教師がいなくなってしまったので、だんだん変わっていったんでしょう。おそらく日本的に変わっていって、それがいま残っているというわけです。
こころの最終講義 (新潮文庫) 106ページ

つまり戦国時代頃に伝わったキリスト教の教えであるが、江戸時代には宣教師がいなくなったため、その教えは日本人同士により口頭で伝承されていった。しかしその内容は、本物のキリスト教の内容というよりも、日本的な内容で伝わってきたということである。
本の中には、具体的に日本風になってしまった伝承事例が記されていて、とても興味深かった。


さて、今回の世界遺産について、である。

各種報道の通り、世界遺産決定までに紆余曲折があったことが知られている。
他にも指摘されている方もいらっしゃるが、生月島がその対象に入っていないことがとても示唆的である。なぜなら生月島は、潜伏キリシタンがたくさんいたにも関わらず、一方で明治期以降にカトリックにはならず、カクレキリシタンを続けた人々が多かった島なのだ。

そもそも「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン(かくれキリシタン・カクレキリシタンなど)」の違いが判らない方も相当いるだろう。義務教育で習わなかったし。

個人の勝手な解釈だが、日本におけるキリスト教的なものへの信仰は、時代によって下記のように変遷している。

01

最近の研究では、江戸時代の禁教時代の信仰者を潜伏キリシタンと呼ぶ。そして明治政府になり実質的に禁教が解かれた後の人たちの一部を隠れキリシタンと呼ぶ。ギョーカイ的には「隠れキリシタン」なのか「かくれキリシタン」なのか「カクレキリシタン」なのか、それとも地元での別の呼び方なのか議論があるらしいがここでは「カクレキリシタン」とする。
また、明治期に潜伏キリシタンからカトリックになった人たちを、復活キリシタンとする。

で、あくまで私の解釈だが、今回の世界遺産の対象となったのは、潜伏キリシタンと復活キリシタンの部分である。カクレキリシタンは含まれていない。

02


例えば世界遺産のひとつである原城跡は、潜伏キリシタン時代の天草四郎の乱の遺構である。一方で、大浦天主堂なんかは禁教解放直前の建築であり、復活キリシタンの先駆となった遺構であると言えよう。
しかし、ここに「カクレキリシタン」の遺構は、含まれていない。

で、生月島である。

1912年(明治45)生月島にカトリック山田教会が建てられた時、生月島全戸数2,000のうち、カトリックに転宗したのはわずか16戸に過ぎなかった。
潜伏キリシタンは何を信じていたのか 182ページ

生月島には潜伏キリシタンがいて、カクレキリシタンが今でも存在する代表例なのであるが、にも関わらず世界遺産対象から外された。

禁教が解除され、潜伏キリシタンは復活キリシタン(カトリック)になる者もいたし、カクレキリシタンになる者もいた。けれど生月島では、ほとんどが復活キリシタンにならず、カクレキリシタンのままでいることを選んだ。

ある意味これは、カトリックの人たちにとって「ふざけんな」という話である。せっかく禁教が解かれたのに「おまえらなんで教会に来ないんだよ」みたいな。
だから彼らのいる生月島は世界遺産にならなかった。と考えられないだろうか。
日本土着の独自宗教としてのカクレキリシタンは世界文化遺産にはふさわしくなく、あくまでキリスト教文化こそが世界文化遺産にふさわしいのだ、という文脈を読み取れないだろうか。私が考えすぎなのだろうか。


とはいっても、一方でまた、根本的な疑問も生じる。
復活キリシタンとなる前の、「潜伏キリシタン」は世界遺産の対象となっている。しかし、果たして彼らは本当にキリスト教を信仰していたと考えてよいのか。

03

潜伏キリシタンが信仰していたものが、本当にキリスト教的なものだったのだろうか。
青木保氏が言うような「日本的に変わっていったもの」なのではないだろうか。宣教師がいない中で、果たしてキリスト教の教えがそのまま正しく引き継がれていたのだろうか。

世界文化遺産として登録されたいくつかの教会などに、私もかつて足を運んだことがある。そしてその近くの博物館に赴き、潜伏キリシタンが拝んでいたというマリア観音(聖母マリアを模したもの)なども見たことがある。
美しいストーリーとしては、潜伏キリシタンたちが心の底ではキリスト教を信じていたけれど、バレるのを恐れて仏教的な造形をした観音様を「仕方なく」拝んでいた、と語るのが王道だ。
しかし本当はキリスト教なんてよくわかってなくて、先祖代々マリア観音と呼ばれているものがあったから念のため拝んでいた、というような話だったらどうだろう。

後世に物語はいくらでも作ることができる。当時の人たちの心の中身は、わからない。


こころの最終講義 (新潮文庫)



潜伏キリシタンは何を信じていたのか