東京にいなくても、なぜか私のパソコンは東京設定になっていて、radikoでJ-WAVEが聞けてしまう。ラジオっ子の私である。

少し前の話になってしまうが、J-WAVEが初めて演劇製作に乗り出した。
ラジオ界では、自社ホールを持つTOKYO FMは既にお芝居をつくっているし、天下のTBSラジオもたまに小劇場的な作品を作っている、あるいは協賛している。しかしJ-WAVEがお芝居をつくるのは初めてなのだそうだ。

今回のJ-WAVEのそれは、ゴジゲンと一緒につくる作品だった。
ゴジゲンといえばゴーチブラザーズがマネジメントしている劇団である。ゴーチブラザーズといえばもともと阿佐ヶ谷スパイダーズの制作であり、阿佐ヶ谷スパイダーズといえばTOKYO FMホールでの作品もつくり、主宰自身がTOKYO FMでしゃべってたりラジオ界に関係が深い。
作品の出演者はオーディションで選ばれていたが、それでもやはりゴーチブラザーズ所属の玉置玲央氏(柿)や市川しんぺー氏(猫ホテ)が出演していた。

作品名は「みみばしる」である。

というわけで、私も東京で時間があったときに、この「みみばしる」を本多劇場まで見に出かけた。
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↑本多劇場のロビーに作られたラジオのスタジオっぽいもの

作品は、J-WAVEの番組で積極的に広報され、ラジオリスナーがこぞって見に来ていた。ゴジゲンが普段フィールドにしている小劇場界隈の顧客向けではなく、ある種のラジオファンのための作品であることがよくわかる。ラジオリスナーたちは、ラジオそのものを舞台に設定したこの作品を、大絶賛である。

たしかに、ラジオ愛に溢れる作品であった。
J-WAVEに限らずラジオのヘビーリスナーであればあるほど、舞台に登場する出演者(ラジオリスナー役たち)に自分自身を重ね合わせることができ、感動を覚えただろう。ラジオで人とつながる感、ラジオを聞いている自分がひとりじゃないと感じる瞬間などを追体験できたことだろう。
なにより、そもそも出演者に、本物のラジオリスナーが含まれていたという点がポイントだ。
素人のラジオリスナーが、オーディションを経て出演者として舞台に立っているわけである。彼らの演技が上手かというとそういうわけではないのだが、舞台上に立つラジオリスナーの姿は、現実なのか虚構なのかの区別がつかない。だって本物のリスナーなのだもの。
その姿を見たラジオリスナーたる観客が、自分がラジオを聞くときの体験と、ラジオリスナー役の舞台上の体験を重ね合わせて見てしまうことは当然だ。

これぞ舞台でしかできない仕掛けである。

ラジオリスナーが、いくらでも自分の体験を登場人物たちに投影できるのだ。そして共感するのだ。

物語自体は、こまごまとしたエピソードがエンディングに向かって収斂していく力技の作りだった。
登場人物が多いためか、そのこまごまとしたエピソードでは、すべての登場人物たちのバックグラウンドを説明しきれない。唯一、普遍的なロールとしての父親(市川しんぺー)役あたりには、一般論としての感情移入は出来るが、それ以外の人物は、個性は見られるもののそれまでの人生が見えづらい。
けれどじつは、この作品においてはそれぞれの役のバックグラウンドが見えないことが、失敗とは言い切れない。
というのも、観客たるラジオリスナーが、勝手にそれぞれの登場人物に自分の経験を重ね合わせられる余地を残していたからだ。バックグラウンドの説明がないという欠点を、ラジオリスナーたる観客の想像力で補う作りだったのである。

逆に言えば、ラジオを聞くことの経験値が浅い客には届かないと思われた。しかしこの作品は、きっとそれで良いのである。

ゴジゲンの松居大悟氏は、この作品を決してただのJ-WAVE万歳の作品にしないように練ったのだろうと思うが、ラジオリスナーが強くこの作品を賞賛することが、逆説的にこの作品がラジオ賛歌として成功していることを証明していたのである。