先日、東京では都議会議員選挙が投開票された。
選挙のたびに思うのは、立候補者が自分の思いを訴えることのできる場所があまりに限られているということだ。特にお金を持ってない候補者は厳しい。
ネット選挙が解禁されたことで以前よりも主張を届けやすくなった側面はあるが、それでも現状のネット・SNSだけでは、その候補者や選挙自体に興味がない人には、そもそも候補者の声は届かない。リーチできない。

そんな中、民主主義的な意味でいろんな人に声を届けるための原始的な方法として、以前から何度も書いているが、自分の意思を支持者に伝えるために、あるいは通りすがりの人に偶然声を聞いてもらうために、「広場」が必要だと思っている。

via [nekodemo]いろんな広場の話

広場があれば、表現を届けることができる。
しかし今の日本では敢えて広場を作らない町の設計がおこなわれていることから、アーキテクトとしてそもそも他者に表現が届かない。思想が届かない。主張が届かない。


ところで、もうすぐ世界文化遺産に登録される気配がむんむんと高まっている遺跡のひとつに、秋田県鹿角市の大湯環状列石がある。縄文時代の遺跡である。(大湯環状列石が位置する秋田県「鹿角」市という市名からして、鹿の角をよく活用する縄文のにおいをそこはかとなく感じるわけだが、鹿角の地名の由来って縄文に関係あるのだろうか。)
大湯環状列石は、石が転がってる遺跡である。世界各地で同じようなものは存在しており、石(あるいは木や土など)が配置された遺跡としては、なんか韓国とかでも見るよね。
その中で、大湯環状列石は石が円形に配置されているもので、この円形配置というのも世界中にあるそうだ。国内でも、東北・北海道を中心に何か所も存在しているとのことだが、大湯環状列石は規模的にとても大きい。

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そんな大湯環状列石であるが、私はここを訪れたときに「あぁ、ここが広場だ」と感じた。
大湯環状列石に配置されている「石」たちの地下には、死者が埋葬されていたという。それも一人だけではなく何十人もの埋葬である。つまりここは集団墓地である。使用されている「石」は、現代の日本のお墓で使われている石と同じ種類だというから、そこがお墓の機能を持っていたことが推察される。

一方で、現代のお墓と決定的に異なるのは、その場が円形であり、人々が自由に行き来できるだけの広さをともなっていることだ。
そして、その場所では、お祭りがおこなわれたという。

円形でお祭り、というと、多くの日本人が容易に思いつくのは盆踊りだと思うが、盆踊りこそお盆に還ってきた先祖(死者)と生者が交わる催しであるわけで、不思議と墓地でもある大湯環状列石の円形空間との儀式的一致を考えてしまう。

盆踊りをおこなうと考えれば、現代でもその場所は「広場」である。
つまり、大湯環状列石は「広場」なのである。

大湯環状列石に隣接する資料館で得た情報によれば、大湯環状列石からは、死者を埋葬したことは発掘で分かっているものの、一方で生きている人たちがここで生活している様子は発掘できていないそうだ。そして今後も発掘される可能性は低いという。

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つまり、生者は大湯環状列石から離れた場所に住んでいたということである。

いわば、大湯環状列石から離れた場所に住む者たちが、お祭りの季節に大湯環状列石の「広場」に集まったのだ。

勝手にこんなことを想像する。普段は遠く離れた場所に住む者たちが、少なくとも年に一度、お盆の季節に大湯環状列石の広場に集まる。普段離れた場所に住む者だからこそ、ときに考え方の相違はあるだろう。しかし広場に集まることで、お互いの顔を知り、話をし、考え方を知ることもあるだろう。「広場」という場を通して、現代で言うところの「政治」の要素が発生したのではないだろうか。

果たして「広場」の無い現代日本よりも、よっぽど人々の顔を見ながら、受動的であっても政治に関心が無い人にすら声が届く、そんな自治が発生していたのではないかと想像するのである。

次回[nekodemo]大日堂(大日霊貴神社)の囲み舞台が示すもの〜大湯環状列石との類似性へ続く。