先日、東京では都議会議員選挙が投開票された。
選挙のたびに思うのは、立候補者が自分の思いを訴えることのできる場所があまりに限られているということだ。特にお金を持ってない候補者は厳しい。
ネット選挙が解禁されたことで以前よりも主張を届けやすくなった側面はあるが、それでも現状のネット・SNSだけでは、その候補者や選挙自体に興味がない人には、そもそも候補者の声は届かない。リーチできない。
そんな中、民主主義的な意味でいろんな人に声を届けるための原始的な方法として、以前から何度も書いているが、自分の意思を支持者に伝えるために、あるいは通りすがりの人に偶然声を聞いてもらうために、「広場」が必要だと思っている。
via [nekodemo]いろんな広場の話
広場があれば、表現を届けることができる。
しかし今の日本では敢えて広場を作らない町の設計がおこなわれていることから、アーキテクトとしてそもそも他者に表現が届かない。思想が届かない。主張が届かない。
ところで、もうすぐ世界文化遺産に登録される気配がむんむんと高まっている遺跡のひとつに、秋田県鹿角市の大湯環状列石がある。縄文時代の遺跡である。(大湯環状列石が位置する秋田県「鹿角」市という市名からして、鹿の角をよく活用する縄文のにおいをそこはかとなく感じるわけだが、鹿角の地名の由来って縄文に関係あるのだろうか。)続きを読む
選挙のたびに思うのは、立候補者が自分の思いを訴えることのできる場所があまりに限られているということだ。特にお金を持ってない候補者は厳しい。
ネット選挙が解禁されたことで以前よりも主張を届けやすくなった側面はあるが、それでも現状のネット・SNSだけでは、その候補者や選挙自体に興味がない人には、そもそも候補者の声は届かない。リーチできない。
そんな中、民主主義的な意味でいろんな人に声を届けるための原始的な方法として、以前から何度も書いているが、自分の意思を支持者に伝えるために、あるいは通りすがりの人に偶然声を聞いてもらうために、「広場」が必要だと思っている。
via [nekodemo]いろんな広場の話
広場があれば、表現を届けることができる。
しかし今の日本では敢えて広場を作らない町の設計がおこなわれていることから、アーキテクトとしてそもそも他者に表現が届かない。思想が届かない。主張が届かない。
ところで、もうすぐ世界文化遺産に登録される気配がむんむんと高まっている遺跡のひとつに、秋田県鹿角市の大湯環状列石がある。縄文時代の遺跡である。(大湯環状列石が位置する秋田県「鹿角」市という市名からして、鹿の角をよく活用する縄文のにおいをそこはかとなく感じるわけだが、鹿角の地名の由来って縄文に関係あるのだろうか。)続きを読む