mixiでリンクしている人同士を線で結んで、関係をビジュアル化してくれるソフトがある。
mixiGraphというやつだ。
このソフトを使って私がリンクしている人々を表示してみると、以下のようになる。真ん中のアイコンが私。

そして、今度は私がリンクしている人々が、さらに誰とリンクしているのかを表示してみると、以下のようになる。(ぼかしをかけています。)私はおそらく真ん中あたりにいて、私とそれぞれの知り合いが線で結ばれている。
さらには、私の知り合いAさんと、私の知り合いBさんが、それぞれ実は知り合いだったという場合、AさんとBさんの間も線で結ばれる。

で、ここで見て注目するのは、右上のごちゃごちゃして線がいっぱい描かれているエリアだ。線がいっぱいあるというか、なんかごちゃごちゃしすぎて線の集まりなのか何なのかよくわからないエリア。線がいっぱい繋がっているということは、つまりここのエリアにいる人たちが、それぞれいっぱい知り合い同士だということである。
AさんはBさんと知り合いで、BさんとCさんは知り合いで、CさんはAさんとも知り合いで……というのがいっぱいある状態だ。

ま、しかし、この線ごちゃごちゃ状態はさほど珍しい現象ではない。

例えば仮に、自分の所属するサークルの人たちが10人いて、その10人がみんなmixiに入っていたとしよう。そしてみんなそれぞれお互いをリンクしあっていたとしよう。10人がそれぞれ全員とリンクしたら、45本の線がそこに描かれることになる。10人だけで45本の線だ。

よって、線がいっぱいでごちゃごちゃした状態もさほど珍しいことではない。

実際、私も学生時代に所属していたとあるサークルの人々と、何人かリンクをしている。
よく知っているサークルメンバーでも、いわゆる「マイミク」(自分とリンクしている人)に入れてないメンバーがたくさんいるので、上の図ではあまりごちゃごちゃ出てこなかったが、私とリンクしていないメンバー含め、サークルメンバーをとりあえず10人表示して線を結びあってみせると、以下のようになる。たぶん線は24本。

やはり、ちょっとの人数だけでも、サークルのような繋がりをたどっていけば、「知り合いの知り合いが自分の知り合い」であることはしょっちゅうなのだ。

しかし、だ。
さきほどのスクリーンショットの右上の人たちは、べつにサークル仲間の集団ではない。
同じ部活仲間でも同じ趣味の集団でもなければ、同じコミュニティに入っている集団でも何でもない。出身の学校も違えば仕事の内容も違う。

なのになぜこんなにみんな「知り合いの知り合いが自分の知り合いでもありました」的な状態になっているのかというと、それはこの右上の人たちが、「繋がりたい症候群」──いや、「繋がっちゃった症候群」な人たちだからだ。

自分も含めてそうだけど、バブル崩壊後に青春を過ごしてきた我々の世代は、おそらく「自分を成長させなければならない」「自分をより高めていかなければならない」という意識を持って生きてきている。
「成長」とかいう言葉を使うと聞こえはいいが、結局は「負けたら終わりだから、負けないために否応なく成長し続けなければならない」という脅迫観念を持って生きている。未来に対しての希望があって「成長」を求めているのではなく、不安だから「成長」を求めているのだ、きっと。みんな口に出しては言わないけどさ。
ときには自己啓発本で話題の本が出版されればとりあえずそれを読み、ときには自分を奮い立たせてくれる人がいたらその人を敬愛し──。そして、「行動的であること」が良いことなのだという価値観で世の中を見渡す。
そして、「行動的」になったこの人たちは、いろんなところにしょっちゅう出かけ、いろんなところで名刺交換し、いろんなところでいろんな人たちと知り合いになる。

そうするといつの間にか、そういう行動的(と呼ばれる)人たち同士が知り合いになり、「知り合いの知り合いは、だいたい自分も知り合い」になってくるのだ。

それが、さきほどのスクリーンショットの右上の人たち、繋がっちゃった症候群なのだ。

日経BPの記事「2006年、若者の二極化は一層深刻化する」を読んだ。
記事の内容は見出し通りそのまんま。
「(将来)コア正社員になっていく人たちは、コミュニケーション能力を重視して、学生時代からNPO活動やボランティア活動などの人的ネットワークの中で自分を磨いている。一方、それを諦めたフリーターやニートもいっぱいいて格差が広がってきている。」なんてことが書いてある。

過去には私自身も、将来のために自分を磨かなければいけないと思い、いろんなところに出向いて名刺を配り歩いたり挨拶しまくったりしたものだ。今でも自分を磨くために日々時間を費やしているよ(自画自賛)。

しかしそれは、「ニートになりたくない」からそうしていただけであって、本気でそれが超楽しくて自分を磨いていたわけではない、と思う。自分でも自分が分析できない今日この頃なので自分のことでも結論付けが出来ないけど、時間が無くて自分を高めるための余裕が持てないときなんかに「焦り」を感じるから、それは自分が「ニートになりたくない」という負のイメージを持っているのではないかと思うのだ。楽しむために自分を高めたいと思うなら、べつに自分を高めるための時間がとれないときでも、「焦り」なんて感じないだろう?

スクリーンショットの右上の人たちは、同じ会社所属でも同じ学校出身でも何でもないが、だいたいが20代の私と近しい年代の人たちということが共通項だ。
同じ世代同士だから、知り合いになりやすいというのはもちろんあるが、我々の意識の中に、潜在的に「将来が不安だから」お互い知り合いになっちゃったというのはあるのではないだろうか。
SNSでリンクしまくる件については いろんな解釈が出来るけど、平均マイミク数20.95件(古いデータ)という報告が出ているなかで、いっぱいリンクしまくっている人たちが大量にいるこの右上エリアの人たちの中に、そんな意識があるように思えてならない。ま、彼らがいつどこでどのように知り合い同士になっていったのか、その出逢いのきっかけについて私は何も知らないし、所詮はただの狭いコミュニティなのかもしれないけれど。

でも、我々の世代の「行動的」な人は、きっと焦っているのだ。