前回[nekodemo]大湯環状列石の円形広場が示すもの〜もうすぐ世界遺産の続き。


ところで鹿角市には、世界文化遺産にまもなく登録されそうな大湯環状列石とは別に、既にユネスコ無形文化遺産に登録されている「大日堂舞楽」というものがある。
大日堂舞楽は、鹿角市の大日堂(大日霊貴神社)で正月2日に演じられている芸能である。
演じられる場所である大日堂を、私も何気なく見学してみた。本当に何気なく訪れたのだが、訪れてみて心底驚いた。それは、じつはここも「広場」だったことに気づいたからだ。

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大日堂のお賽銭箱にお賽銭を入れ、二礼二拍手一礼をする。ここまでは一般的な神社と同じだ。
しかし大日堂の堂の中に入ることができたので、何の気なしに入ってみる。

そうすると、どうか。

そこには、私が想像していた神社の本堂とはまったく異なる空間が広がっていた。

そこは「広場」であり、「劇場」だった。
大日堂舞楽が演じられる広場は、劇場なのである。

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お堂の内部には一段高くなったステージがある。
写真の右下にあるものがステージだ。大日堂舞楽が演じられるメインの場所はこのステージだと思われる。

そして着目すべき点は、その「ステージ」がいわゆる囲み舞台の形状になっていることだ。
囲み舞台ということは、つまり360度を取り囲むかたちで舞台が存在しているということである。

この360度を取り囲む形状から思い出したのは、またしても盆踊りである。盆踊りは真ん中に櫓を立て、その周りを円形に取り囲んで人々が躍る。

しかし盆踊りの季節である夏はともかく、大日堂舞楽が演じられるのは、冬である。鹿角のこのエリアは豪雪地帯であり、冬に野外でこういう催しをすることは不可能である。

そこでどうか。
人々は、お盆とは真逆の冬であってもこの神事をおこなうため、屋根を付けた建物をつくったのではないか。もともと円形で演じられるべき神事のために建設されるものであるため、そこは必然的に360度を取り囲むステージを持つこととなる。
いや、この大日堂舞楽を神事と表現することもどうか。たしかに神事ではあるのだが、もっとカジュアルに言えば、これは人々が集まる催しと言えよう。そしてその人々が集まる催しが実施される場所として、必然的にやはりそこは360度を囲む場所になったのだ。それは「広場」として定義できるのである。

大日堂のお堂の中は、採光の取り方(窓の位置)だけを見れば、歌舞伎が開かれたような、各地の芝居小屋と同じような形をしている。南を中心に採光用の窓を大きく設置する建築だ。
しかし舞台が独立して存在し、360度を人々が取り囲めるようになっていることは、明らかに芝居小屋と様相が異なる。
歌舞伎における舞台では、舞台と客席の間に明確に「見る・見られる」という対称性が存在する。しかし360度舞台では、その境界があいまいになる。どの方向から舞台を見ても、その視点の先にはステージに立つ誰かの姿だけではなく、さらにその先にいる別の他者が入り込む。360度を取り囲む観客自体が、他の誰かにとっては演じ手にもなり得るのだ。あるいは、360度を取り囲む舞台では、どの方向が正面であり、どこが上手(かみて)なのかという、つまり関係性の上下の関係も次第に曖昧になろう。

一方で、大日堂の建築は、ただの「舞台」というだけでもない。
お堂内に鳥居を内在しており、宗教的空間であることを示している。かといって、二重舞台のような空間を持っていて多層的に演者が行き来できるようになっているし、高いタッパから様々なものが吊り下げられる形状を持っていて、劇的演出ができる空間を保持している。
神秘的なもの・宗教的なもの・お祭り的なものは、常に演出性を内在するものであるから、いわば当然のことなのだが、とても納得感のある構造である。

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新型コロナウイルスのおかげで、様々なイベントが自粛を余儀なくされて1年半が経つ。
語弊もあるが、おおざっぱに神事もイベントであると言い換えれば、イベントが中止されるような社会では、人と人とが交わる場を放棄している社会と言える。

大湯環状列石と大日堂の広場を見ると、とてもうらやましい。
広場もなく、イベントも開催できない今の社会は息苦しい。それは単に楽しいイベントに参加できないことがつまらないというのではなく、イベントで交わされるはずだった人々の表現の交換の場が消失するということが、息苦しいのである。